「……何処までついてくる気だ」
高い杉の木の上で足を止めた。
息を切らした様子も全く見受けられず、冷たい瞳で後ろにいる男を見据えている。
「…っは…アンタが…行く所なら…何処まででもだ。……師匠」
汗だくになりながらもの後を追いかけてきたのは佐助。
本気のに追いついたことはこれまで一度も無かった。
だが、もう二度と見失うわけにはいかなかったので限界以上の力で必死に追いかけた。
気付けば既に徳川の領地まで近づいていた。
目下では戦が始まっている。
「……また戦か。……人間は殺し殺される為に生まれているわけではなかろうに…」
「…?し…」
ふと、が一瞬見せた表情。
それは先程とは打って変わった悲しみに満ちていた。
佐助はその表情が意味するものが汲み取れず、また走り出したをみすみす行かせてしまった。
「…しまった!!師匠…!!!!」
追いかけようと佐助も走り出そうとしたが、限界まで動かした足は言う事を聞かずガクッと力が抜けてしまった。
その所為で細い枝にいた佐助は宙に投げ出される破目になった。
「…っ!!!」
「佐助っ!」
ジャラッと音を立て、鎖が佐助の右腕に巻き付いた。
地に向かっていた体は引き上げられる力によって宙で止められた。
「阿呆が!こんな所で足止めされて場合じゃないだろう!!」
鎖の先を見れば、流れる金の髪。
「……か………すが……?…どうして…此処に…」
かすがの力で佐助の体を引き上げるのは少し難しかった為、ゆっくりと地に降りることになった。
呼吸を整えながらも、何故かすがが此処にいるのか佐助は考えていた。
「…どうして此処が判ったんだ?」
「最初は私の白鴉の様子が変だったから追いかけていた。だがその途中で貴様と先生を見かけたのだ」
「そうか…。…師匠が…また“ココロを殺した”んだ…」
「…もう見たくなかったのだがな。先生の…あんな顔は」
暗い雰囲気が漂う。
だが佐助はハッとして、自分の両頬を叩いた。
かすがはそんな佐助の行動に一瞬目を丸くしたが、佐助の瞳が死んでいないことに気付くとふっと微笑んだ。
「落ち込んでる場合じゃない。師匠を止めなきゃ!」
「…元よりそのつもりだ」
立ち上がり、が進んでいったであろう場所を予測する。
そういえば、先程はこう呟いていた。
『……また戦か。……人間は殺し殺される為に生まれているわけではなかろうに…』
先程見えた旗印は徳川と豊臣だった。
―――――豊臣秀吉
覇王と呼ばれた秀吉を、今のが見逃すわけがない。
一か八かの賭けで佐助は豊臣の陣へ向かった。
「もうすぐだね、秀吉。あの徳川の軍勢を手に入れれば天下はすぐそこさ」
「ああ…。最早奴等も袋の鼠…。全軍進め!!!!」
秀吉が命を下せば兵は勢い良く前進する。
それを見て微笑む半兵衛。
勝ちの見えた戦に気分を良くしたのだろう。
「…っうぎゃあああ!!!」
「誰だっ…ひい!!!」
「なにかが…みえな…ぐはっ!!」
ふと自軍から聞こえる悲鳴に眉を顰める半兵衛。
あの徳川軍の脅威である本田忠勝も押さえたたし、これ以上苦戦する要因もないはずなのに。
目を細めて見れば豊臣軍の先頭付近で兵がバタバタと倒れていく。
「…何者だ…?」
「僕が見てくるよ。君は此処で待っててくれ」
「油断するなよ、半兵衛」
「ああ。……只者じゃないみたいだしね」
不覚にも、冷や汗が頬を伝っていた半兵衛。
距離は離れている筈なのに、異常に感じる殺気。
一般兵にはあれの相手は無理だ、と判断したからこそ自分が前線に出ようと思った。
馬で駆けつければ、豊臣軍の兵達は逃げた者もいるが大半が地に伏せていた。
致命傷を与えられているわけではない。だが動く事は出来ないだろう。
関節を外されていたり、気絶させられていたりするだけだ。
「これは…これは…。招かれざる客が来たようだ」
半兵衛は自分の獲物を構え、何処から来るか判らない敵を待った。
気付けば徳川の軍勢はすっかり引いてしまっている。
後一歩の所だったのに、と舌打ちをした瞬間背後から刺さるような視線を感じた。
「っ!!」
勢いで刀を振れば、金属音がした。
跳ね返され、地に落ちる小刀。
戦場の弾幕や砂煙の所為で視界は悪いが、今の小刀が飛んでくる方向で居場所は大体特定出来た。
半兵衛は己の凛刀を予想した先へ振り下ろした。
受け止められる感触、思ったより近くにいたらしい。
刀を戻そうと引いてみるが、絡め取られたようでびくともしない。
やがて風が全ての煙を晴らし、互いの姿が露になる。
そして、半兵衛の視線の先には深い蒼色の着物を着た男が一人。
「っ……貴方は……」
半兵衛の頬に伝う汗が地に落ちた瞬間、凛刀が離された。
力の行き場を失い、よろめく半兵衛。
男は無表情で半兵衛に歩み寄ってくる。
武器を構えようとするのも忘れ、半兵衛は目の前の男を凝視していた。
「……ぉ…
かはっ!!!」
何かを言おうとした男がいきなり血を吐いて膝をついた。
おびただしい血の量に半兵衛の顔色が変わる。
近寄り、手を差し出そうとすると眼前に刀が迫った。
「……近寄るな…。豊臣秀吉は…何処にいる…」
「何故……何故貴方が…此処に…どうして秀吉を…」
「答えろ…秀吉は…何処だ!!!」
「そっちこそ答えろ!!!!
兄様!!」
互いに続く睨み合い。
だがそれも長くは続かなかった。
の体が傾いたからだ。
「っ!!」
支えようと手を伸ばそうとすれば、半兵衛の体にも異変が起こった。
発作だ。
後ほんの少しだけの距離なのに届かず、の体は地に落ちる。
苦しみながらも歯痒さに唇を噛む。
それでも何年間も会えなかった人が目の前にいる、その喜びだけで半兵衛は体を無理矢理動かした。
もう少し………
「先生!!」
「師匠!!」
「っ!?」
届きそうだった体は急に現れた二人の手で自分から引き離された。
佐助とかすががに駆け寄ったからだ。
「何だよこの血の量…っ…」
「やだ、やだ!!死なないで先生!!」
佐助がの体を背負い、連れて行こうとする。
半兵衛はそれを阻止しようと凛刀を佐助へと向けた。
「佐助っ!!」
「!」
かすがが佐助を庇い、凛刀を受け止めた。
幸い、半兵衛も発作の所為で全力を出せなかった為かすがにはなんの衝撃も無い。
だが、を背負った佐助では避ける事も出来なかっただろう。
「…その人を…何処へ連れて行く気だ…」
「竹中半兵衛……。アンタも…師匠と関わりがあるのか…?」
「答えろ…!!武田と上杉の忍!!」
あまりゆっくりしている暇は無い。
今は大人しいが、目が覚めたらが何処かへ行ってしまうかもしれないしこのまま此処にいれば秀吉が出てくるかもしれない。
そうなればすんなり帰ることは出来ないだろう。
佐助とかすがは煙幕を使い、半兵衛の視界を奪いその場を離れた。
「待て……待てっ…!待てえぇぇぇぇ!!!」
戦場には半兵衛の悲痛な叫び声だけが虚しく響いた。