部屋で床に腰を据えたままの少年が一人。
何をするわけでもなく、ただぼうっと空間を見つめている。
別段戸に錠をかけられているわけでもないし、自由が利かないわけでもない。
だが少年はその場から動かない。
興味が無いのだ。
外で何が起ころうとも、誰が何をしようとも。
唯一少年が心躍らせたのは自分の手を紙で切った時だ。
赤い血が指から流れたその時、今までに感じたことの無い高揚感があった。
少年を満たしたのはその一瞬だけだった。
幾ら心が躍ったからと言って、自分を傷つける自虐心など無い。
また少年は無気力になった。
ある日、開けていた窓から入り込んだ小さな鳥を見つけた。
どうやら翼を怪我してしまい飛べないようだ。
自分の手に収まる鳥。
自分の指先一つで、この小さな命は消える。
徐々に鳥の首を絞める手。
だが、それを阻む声があった。
「何してんだ、お前」
かけられた声にゆるゆると目線を上げると、自室の上の屋根に足をかけてぶら下がる男。
城では見たことの無い顔。つまりは侵入者である。
「そこは手当てしてあげるべきだろーが。トドメさしてどうすんだよ」
「…何者ですか…?私が…何をしようと…関係ないでしょう?」
男は屋根から降り少年の目の前まで歩み寄り、視線を合わせるように座り込んだ。
「ああ無いね。だけどオレが口出したいから出した」
男は自分手から鳥を奪い、両手で包み込んだ。
そしてその鳥をすぐさま空へと放ったのだ。
「…!!自分が今手当てしろと言っておいて…」
しかし、鳥は落ちてこなかった。
あの広い空へ再び羽ばたきだしたのだ。
「鳥は空にいるのが似合ってんだよ」
男は笑った。
先程まで消そうとしていた命があの空で輝いているのを見て、何故かこれも悪くないと思ってしまった。
「貴方は誰ですか…?」
「ただの通りすがりだ。って呼んでいいぞ。お前は?」
「……桃丸」
気がつけば口が勝手に名を名乗っていた。
それからは何度か現れ、自分に説教めいた事を言っては去っていく。
外には楽しいものが他にもあるぞ、とかもっと食って健康的になれ、とか。
何故他人にそう言われなきゃいけないのだ、とも思ったが不快と感じてはいなかった。
今まで自分の身内でそういうことを言う人間があまりいなかったからだ。
帰蝶は何かと口五月蝿い女子だったが、あの子が織田家に嫁いでからは滅多なことでは会えなくなった。
自分に関わってくる人間なんてもういないと思っていたのに。
いつの間にか、この男と過ごす事が楽しみになっている自分がいた。
「…貴方のような人を…変わり者って言うんじゃないですか?」
「は?失礼だなー、桃丸に言われたくないね。引きこもりだったくせに」
「けど、貴方のお陰で最近はずっと日の下に連れ回されてますけどね」
こんな日々が当たり前に続くと思っていた。
ある日自分が織田家に仕えることが決まった。
に報告しようと現れるのを待っていた。
神出鬼没な彼だが、来るのは昼間と決まっていた為二三日待っていれば来るだろうと思っていた。
けれど、彼の姿を見ることは二度と無かった。
待っていた、だが来なかった。
元々、侵入者だったのだ。
普通なら来なくなった方が良い筈なのに。
来なくなった途端に、全てどうでもよくなった自分がいた。
「…自分がかき乱しておいて…」
勝手に外へ連れ出して
知りたくもない温もりを教えて
そして孤独を味あわせるなんて
「……やはり……殺しておけば…良かった…」
その言葉が涙と共に零れたことは自分しか知らない。
戦場に出るようになって、他人から恐れられるようになった。
益々、自分に近づいてくる人間などいない。
織田家に嫁いだあの子も今では壁の向こうにいるみたい。
血が、戦場が、それだけが私を駆り立てる。
なのに…この虚しさはなんなのだろう。
戦場に出るようになれば、名のある武士の噂はよく届く。
武田の若虎、伊達の独眼竜、四国の鬼………そして蒼き陽炎と呼ばれる忍の話。
数々の噂を聞いた。
姿を見た者は一人残らず殺される、とか
戦に現れれば両軍が全滅だ、とか
どれも眉唾ものばかり。
何処にも所属していないと言う忍。
目撃情報も何も無い、ただ戦場で呼ばれている“蒼き陽炎”と言う通り名だけ。
だけど、その名を聞いた時たった一人だけ浮かんだ。
まるであの空のように、どこまでも自由で掴みどころの無い侵入者。
「……必ず、見つけて……今度こそ、その翼をもいでやりましょう……」
血や 戦 以上に求めるものが 見つかった。
光秀独白