まあるい、まあるい穴の中から見る空は綺麗で
まるでそこだけ時が止まったような錯覚に陥って



だから、助けを求めるでもなくただぼーっとしていたら




まんまるな世界に、貴方が飛び込んできた






だから、僕は穴の中で貴方が来るのを待ってるんです





























「お、一年がかかってる」

「…?」





学園内を歩いていたら、右足に違和感を感じその後浮遊感に襲われた。
自分は落とし穴に落とされたのだと、その穴が結構な深さであることがわかった。

登ろうにも、苦無なんて持ち歩いていなかったし
そもそも何処かで昼寝しようと思って歩いていたから別に予定があるわけでもないし



焦ることなくその穴の中を満喫していたら、萌黄色の制服が見えた。















「怪我、してない?」
「……お尻が痛いです」
「足とか、手は?動く?」
「……はい」




特に痛い所は尻餅ついたとこだけで、僕の体は異常無かった。

それを確認した萌黄は穴の中に降りてきた。






「此処な、競合地域って言うんだよ。目印さえつけたら誰でも罠を仕掛けていいんだ。これは、三年の作法委員が作った蛸壺」
「たこつぼ…」
「目印についてはまだ習ってなかったよな。今度教えてやろう」


面白いことを考えた、みたいな顔で笑うその人は僕の隣に腰掛けた。





「なんで、助けを呼ばなかったんだ?見たところ、落ちたことに全然動じてなかったけど」
「……ここから」
「ん?」






「ここから見える空がきれいで…ずっと見てました」








正直な感想を答えると、成程とその人は頷いた。
そして、僕の隣で同じように空を仰いだ。







「…確かに、ここだけ別空間だもんな。外の騒がしさが嘘みたいだ」

「はい。それに涼しいし、落ち着くんで特に出たいって思わなかったです」

「そっかそっか」




そう言うと、その人は立ち上がり僕を抱き上げた。


「わあ」

「だったら、今度はお前が作ったらどうだ?作法委員会一年の綾部」
「…え?」

「オレはお前のとこの立花仙蔵の友達で、。作法は罠作りも活動の一環だ。この穴を作った奴を落とす位のすごいものをお前が作ってみたらどうだ?」
「僕が…?」







先輩は僕を連れて、穴から出た。
たった、2つしか年が違わないのに軽々と僕を持ち上げて






!!喜八郎!!」
「仙蔵、良いところに」




穴から出てすぐに委員会の先輩である、立花仙蔵先輩がやってきた。

土で汚れた僕の制服をはたいて、顔を濡らした手ぬぐいで拭いてくれる。





「仙蔵、綾部はきっとすごい逸材だぞ」
「どういう意味だ?」
「やらせてみればわかる。蛸壺に興味を持ったようだし」
「…そうなのか?」





興味…?
好きか嫌いかで答えるなら……



「はい。先輩、僕でも出来ますか?僕を落とした人にやりかえしたいです」
「……そうか。…よし、わかった!先輩には私から言っておこう」








それから、僕は立花先輩から蛸壺の作り方を教わり一日を通して踏鋤を握った。
最初は手の肉刺が潰れたり、中々綺麗な穴が掘れなかったりと苦労が沢山あった。



けど、掘ってる時は楽しいし全然苦じゃなかった。











「綾部」

「…先輩?」

「頑張ってるな。段々、形になってきたみたいじゃないか」

「はい。昨日同級生が落ちました」

「おおー、やるなあ。だけど三年以上は手強くなるからな。隠し方も重要だぞ」

「……先輩は」

「ん?」










「どうして、僕を助けてくれたんですか?」







実はあの時、何人かが穴の近くを通った。
けど、誰も中を覗かず「またか」みたいな感じで通り過ぎていった。

委員会の先輩である、立花先輩は心配してくれていたけど…先輩と僕は接点が無い。






「助けない方が良かったか?」
「…いえ」



落ちたことには困ってなかった、けどあのまま夜が来てしまったら同室の滝が心配する。
実際、泥がついたまま部屋に帰ると怒りながらも怪我が無いか見てくれる。







「じゃあいいじゃん。オレはただ、落ちてる綾部を拾っただけだ。助けるとかそんな大袈裟なことじゃないよ」
「…僕、物じゃないですけど」
「ごめんごめん。…目が合ったから」
「え?」






「綾部がまっすぐオレを見上げてたから、引き込まれたのかもな」








そう言うと、先輩は笑顔で


僕の頬についた泥を拭い、何処かへ行ってしまった。

















「…僕、そんなに見てたのかなあ」









あの時は、






まあるい、青しかなかった世界に
ひょっこり現れた貴方が


とてつもなく、珍しく思えて












「…見たのかもしれない」


















別の日、寝る前に滝が私にこう言った。




「喜八郎、最近生き生きしてきたな」
「…そう??」

「ああ、泥を付けて帰ってくるのは変わらずだがなんだか楽しそうだ」



…確かに楽しい。
蛸壺を掘るの好きだし、その最中先輩が声をかけてくれるし




「前はなんにも興味がないって風で、つまらなさそうだったぞ」
「…そうかもね。実際、ここまで夢中になるものなんてなかったし」




「ところで、お前三年の先輩と仲が良いのか?」

「…?…悪くは無いと思うけど」




会えば喋るし、全く知らない仲じゃないから悪い筈は無い。









「お前、先輩と話してるときすごい表情豊かだぞ」










…全然、自覚無かった。














滝にそう言われてから、なんとなく先輩と話すのが難しくなってきた。
何も考えずに話せば良いのに、変に意識してしまう。

こんな風に考えてしまうってことは、僕は潜在意識で先輩の事を苦手としていたのだろうか。







「喜八郎、頑張ってるな」
「…立花先輩」




ある日、立花先輩が話しかけてきた。


うん、立花先輩なら全然平気。
何も気にせず話せる。









「大分綺麗な蛸壺になってきたな。が褒めていたぞ」
「…」




先輩の名前を出されると、どう答えていいのかわからない。

無言になった僕を不思議に思ったのか、立花先輩が首をかしげた。




「どうした?と何かあったのか?」
「…いいえ。…僕、先輩とどうやって喋ったら良いかわからなくなったんです」
「ふむ。詳しく言ってみろ」



気遣いというより、なんだか命令口調な気もするけど。
それでも一人で悶々とするより、聞いてもらった方が良いような気がして、僕は立花先輩に全部話した。








「…成程。喜八郎、それはお前の考え過ぎだ」

「え?」



と上手く話せないのが負の感情から来ていると決め付けるのは早急すぎる、ということだ」
「…よくわかりません」




わかりやすく言ってくれれば良いのに。
立花先輩はニヤニヤと笑みを浮かべて僕を見る。





「お前には良い課題が出来たのかもしれんな」




そう言って、立花先輩は去っていった。












すっきりするより、余計にわからなくなった僕の疑問は誰にも解消されることなく、ただ日々が過ぎていった。

幸か不幸か、その間に先輩と会うことが無くてモヤモヤすることは無かった。





けれど、ある日の委員会。
作法室へ向かう途中、先輩を見かけた。





久しぶりに見たからか、僕は思わず柱の影に隠れた。









先輩!小屋の掃除終わりました!」
「早いな、八。じゃあ薬草園に行くからついてこい」
「はいっ!」




二年生と仲良く歩いていく先輩。
…行ってしまう…。





「せんぱ…」





呼び止めようとしたけれど、僕の足は動かなかった。





あっちは同じ委員会、僕はただの顔見知り。
先輩にとって、仲がいいのはあちらだろう。










「…なんで」


胸が苦しいんだろう。












この動機の意味がわからなくて、僕はとりあえずいつものように蛸壺をつくりにいった。












それからちょっとの間、蛸壺が上手く掘れなくなった。
掘っても何か気に入らないし、同級生も落ちなくなった。

スランプ、に陥ってたんだと思う。




それもこれも、掘ってる間先輩のことが頭によぎって集中出来ないからだ。





今日も掘ってはいるものの、やっぱり何故か納得できない。
…僕一体どうしちゃったんだろう。








「綾部?」

「!」





聞き間違える筈がない。

先輩の、声だ。





「どした?」

「…いえ、なんでもありません」







なんでもない、わけがない









貴方のせいで、集中出来ないんです

貴方のことを考えるとモヤモヤするんです


どうして貴方に話しかけることにためらいが生まれてしまったんですか?






「んー…なんでもないって顔じゃねえぞ?オレに言いにくいなら、仙蔵にでも言うか?」

「立花先輩にはもう言いました……」





ああ、わからないことばかり



もう、いっそ





「先輩と話している僕は、普段と違うと言われました。そう言われてから、どう話したらいいのかわからなくなりました。
 
 だから僕は先輩のことが苦手なのかなと思いました。

 でも、先輩と先輩の同じ委員会の二年生が話しているのを見ると苦しくなりました。僕はただの顔見知り、あちらは同じ委員会。

 そう思うと壁を感じました。そしたら余計に話しかけられなくなりました。

 蛸壺が上手く作れません。何度作っても納得いきません。僕は一体どうしてしまったんでしょう」










思ったことを全て、吐き出した。


その間先輩は黙って聞いていた。

僕は一度も先輩の顔が見れなかった。


口に出してから、ああもうこれでこの人は僕を見なくなる、と思って

なんだか寂しくなった。








「綾部」
「…なんですか?怒りましたか。良いんです、もう「怒ってないよ」








「やっと綾部の本音が聞けたのに、怒るわけないだろ」







先輩は僕の頭を撫でた。
そうして、やっと僕は先輩の顔を見た。






先輩は、笑っていた。






「オレと話していたとき、嫌な気持ちだったか?」
「…いいえ」
「じゃあ、苦手としてるわけじゃないってことだ。良かった」



「それにオレにとっての綾部はただの顔見知りじゃない。仙蔵の後輩だが、オレにとっても大事な後輩だ。委員会が違っても関係ない」
「…本当ですか?」
「ああ。本音を言わないでいたから蛸壺作りに集中出来なかったんだろ。どうだ?今の気分は」





「とても……スッキリしました」




「ならもう大丈夫。掘れない時は一旦止めて、美味しい団子でも食べよう。また明日から上手く出来るさ」
「…でも、また掘れなかったら?」
「そしたら今度は納得いくまで掘り続ければ良い。出来ない時は気分転換、もしくはとことんやり続ける」




先輩に手を引かれ、僕は思った。




僕はずっと待っていたのかもしれない。








先輩に見つけてもらって、手を引いてもらうのを










「先輩」
「ん?」

「委員会が違っても、仲良くしてくれますか?」
「当たり前だろ?オレは最初からそのつもりだ」
「なら、いいです」





ぎゅっと、自分から握り締めて


今度は自分からこの手をつかみに行くんだ。


















「喜八郎ー?」

「…おやまあ、先輩」


「やっと見つけた。一段と深く掘ったなあ」

「先輩用のターコちゃんです。最近暑いと仰ってたでしょう…?」

「うん、言ったよ。でもな、お前今委員会の最中なのおわかり?」

「…もうそんな刻限ですか?」

「仙蔵がお怒りだぞーー。ほら、でてきんさい」

「怒られるのなら行きたくないです」

「ついてったげるから。ほら、一緒にいこ」

「…今日は一緒に委員会に出てくれますか?」

「最初からそのつもり。だから探しに来たんだよ」

「じゃあ出ます」



何度だって貴方は手を伸ばしてくれるから