“内密に始末せよ”


そう言った時のの顔が頭から離れない。

やはり大分記憶を戻しているのだな、と実感した。
あの時の表情は“忍”だった頃のだと思えたから。






























内密に、ということは標的に始末することを悟られてはならない。
同時に下級生達に害が及ばぬよう、入念に事を進めよとのこと。

私達が忍務を遂行するのは、次の新月の日。

学園外で行わなければならない為、まずはおびき出すことが先決。
それには、相手に不信感を与えないこと。


となると…まず私達のとる行動はあの女に好意的に振舞うこと。


相手に信用させるには、まずこちらが信用しているように見せなければならないからだ。








「おはようございます、もう食事はとられましたか?」
「え?あ…まだだけど」
「でしたらご一緒してもよろしいですか?俺達もまだなんですよ〜」






私の目の前では五年が揃ってあの女に声をかけている。
急に好意的にこられても不信感を抱くことなく、女は頬を染め嬉しそうにしている。

…もう少し疑うということをしたらどうなんだ?





「…猿芝居だな」



五年の目は笑っていない。
が、それでも女に気づかれることはないのだろう。

なぜなら、一番お気に入りと噂の鉢屋が隣にいるのだから。
……鉢屋、顔は変装で誤魔化せているが…隠しきれない苛立ちをこっそり机の下で竹谷にぶつけている。





「仙蔵、どうだ様子は?」
「――ああ、こんな状況じゃなければ腹を抱えて大笑いしたいぐらい滑稽だ。見てみろ、あれを」


文次郎に指さしてやると、奴も苦笑いを浮かべた。

しかしそうして笑っていられるのも今の内だけだ。
私達とて、ああやって演じてみせなければならないのだから。




「今回ばかりは、は組が羨ましい」




伊作と留三郎の二人は、結構最初の段階であの女に厳しく接してしまったらしく今回は傍観に徹することになっている。
急に掌を返したように態度を改めれば、どんなに鈍い奴でも疑いを持つかもしれないからとが言ったから。
なのであの二人は、必要以上にあの女に接触しなくても良いということだ。





「…さて、飯を食ったら行動開始するか」
「大丈夫なのか…?お前はあいつに近づくと体調が…」
「なに、に対処法は教えてもらったさ。念の為に今朝も霊水を持ってきてくれた」



…しかし、何故あの女はにだけは媚びないのだろうか。

顔で選んでいる、というわけではないのか?
見た目ならは断然そこらの奴より整っているし…。





「文次郎ですら好かれているのになあ」
「どういう意味だ。それに嬉しくねえよ」




























「嬉しい!わたし、前々から仙蔵くんや文次郎くんと話してみたかったの」
「そうですか、光栄ですよ」
「でも体調…悪かったんでしょう?もう大丈夫なの?」
「ええ。心配をおかけしてすみません」



ああ…吐き気がする。
体調ではなく、精神的にだ。

私は女の媚びるような目が嫌いだ。
都合の良いときだけ、女であることを理由にするような奴もだ。


目の前にいる女はまさにそれの典型とも言えよう。


しかしそんな感情をけして顔に出さないよう、表面だけ取り繕っていてもこの女は全く気づかない。












せんぱーいっ」
「うおっ」




縁側を歩いていると、庭先を掃除していたと思われると一年は組の姿が見えた。
と一年はほとんど接点が無かったから、珍しい光景だ。
見ていて心が和む風景を、この女は一言でぶち壊した。





「あの人ってどういう人なの?」
「ああ、いい奴ですよ。面倒見も良いから後輩達によく懐かれてますし」








「ふーん。でも怪しくない?もしかしたら皆騙されてるのかもしれないよぉ」











……文次郎、殺気がだだ漏れだぞ。
かくいう私も、焙烙火矢を手にしなかったことを褒めてもらいたい。





そもそも、が掃除をしていること事態おかしいんだ。
お前がしていない仕事をはしているのだぞ!?
そして言うに事欠いて、“怪しい”などと?
後から来たお前が何を言っているんだ!!!






授業が始まるから、と言って私達はその場を後にした。





これ以上いたら………







本当に殺ってしまいそうになるからだ。

























「仙蔵、どうだ?調子は」

「ああ、今のところ問題ない」



昼、食堂でが声をかけてきた。
それだけで午前中のモヤモヤが晴れるような感じがした。


「お前こそ、いつもより仕事が増えてないか?」
「…まあ掃除くらい別に良いよ」




一瞬遠い目をしたな。
無理もない、今日あの女は何を調子に乗ったか知らないが仕事をしていないのだから。







「三郎!」










食堂に響いた甲高い声に耳を塞ぎたくなった。

見れば、鉢屋が絡まれている。
死んだ魚のような目をしてるぞあいつ。






『マジ無理。助けて助けて助けて』



悲痛な矢羽音が聞こえてくる。
あの様子からすると女の鉢屋への執着心はかなり強いのだろう。
たった半日であそこまで消耗するとは恐ろしいな。







『がんばれ、鉢屋』
『後で饅頭もってってやるから』



『……もう私死にそうです』






すまんな、鉢屋。


















「立花先輩…あの」
「…またか」



藤内の言いにくそうな態度で大体予想はつく。
喜八郎の件だろう。


ここ最近奴は一心不乱に穴を掘っている。
委員会に出ろと言っても、中々来ない。





「いい、私が行こう」
「すみません…」
「兵太夫と伝七を頼むぞ」
「はい」






さて…今日は何処で掘ってるのやら…。










少し歩けば、ザクザクと音がする。
見れば教員長屋の前で土が跳ねている。

あそこか…。







「喜八郎」
「…なんですか?」
「お前、どうしたんだ。毎日毎日狂ったように穴を掘って…」




「あの人を近づけないようにするためです」




ざくっ!


踏鋤を地面に突き立て、喜八郎は言った。





「あの人なんなんですか。いきなり近づいてきて、名前を呼ばれました。無視しているのに長屋にまで来ました。

 先輩に会いに行こうとすると必ず邪魔してきます。だからもっといっぱい掘らなきゃダメなんです。

 僕はただ、先輩に会いたいだけなのに」



…成程、それで蛸壷を増やしているのか。
しかし、ここまで怒りを露にした喜八郎を見るのも初めてだな。
こいつものこととなると見境が無くなるから…少しなだめておかないと危険だ。






「喜八郎、そんなことをしているとの負担が増えるだけだぞ?」
「…?」
「あの女は罠があるからと庭の掃除をしない。必然的にがするようになるんだ」
「…先輩が落ちてくれれば会えるから良いんです」
「あの女はお前に会いに来るのだろう?邪魔されても良いのか?」
「………」





「任せておけ、可愛い後輩の為ならなんとかしてやろう」
「立花先輩…」

「さあ、顔を洗って作法室へ行け。を連れてきてやる」



その一言に先程までとは表情を一変させて喜八郎は井戸へと駆けていく。
これでしばらくは蛸壷を掘らないだろう。



さて、を探しに行くか。
全く、手の掛かる後輩だ。