冷たい夜の帳の中―――女が一人佇んでいる。
墓の前に立ち、怪しげな呪を唱えている。
張り詰めた空気が新たな争いの訪れを予兆していた――――――。
十八鬼 冬の訪れと悲しい思い出
真夜中に出歩く人影なぞ、そうそういないというのに。
何故かこの一角だけは大変賑やかだった。
まあ常人には人間二人しか見えないだろうが。
「いやいや、お前はちゃーんとやってる。それはこいつら皆がよーく知ってるぞ」
物の怪はうんうんと頷いている。
対して昌浩は先程から眉間の皺を深く刻み込んだままだ。
「まあきっと一応多分将来は頼りになるだろうよ。陰陽師の端くれだからな」
「……もっくん…言いたいことはそれだけ?」
段々と昌浩の声が低くなっている。
側にいるは笑いを堪えるのに必死だ。
「……っだったらっさっさとどけ―――――!!!!」
昌浩の上には只今大量の雑鬼達が乗っかっている。
またもや夜警の途中上から降ってきたのだ。
案の定昌浩は避け切れず、こうして下敷きになっているというわけだ。
「あーあ、切れちゃったじゃないか。もっくん」
「まったく仮にも陰陽師の端くれがこれくらい避け切れなくてどうするってんだ」
物の怪はひょいっとの肩に飛び乗り自らは安全な位置に移動する。
今だ雑鬼達に潰されている昌浩は自分に注がれる視線を感じ、首をめぐらせた。
「…げ」
「お?」
昌浩の蛙を踏み潰したかのような声に、も同じ方向を見やると築地塀の上に立っている人影を見つけた。
「…なーにしてんですか?」
「いや、噂に聞く“一日一潰れ”を一度目にしておこうと思ったまでだよ」
塀の上にいた人影はひらりと降りてくると潰れている昌浩を助けるよう隣にいるであろう神将に言う。
顕現した神将は黙々と雑鬼の中に手を突っ込み、昌浩の狩衣の襟首をつかんだ。
「ありがとー彩W」
「…いや」
彩W―――六合はに至宝の名を呼ばすことを許可している。
それは彼がの内面に関わった交換条件だ。
は六合が自分のことを知ってから彼の前では本音を言えるようになった。
晴明は目を細めて笑った。
あの寡黙な神将が自分の名をに呼ばせていることを今日初めて知ったのだ。
随分呼ばれ慣れているところを見ると、結構前からなのだなと判る。
「…っ!…紅蓮、昌浩」
「…ああ」
夜風にしては冷たすぎる風には身を震わせた。
これはただの風ではない、何かの気配が混じっている。
晴明の顔を見れば、気づいていたと言わんばかりに一定方向を見ている。
「遅いぞ」
「…っ」
昌浩が指摘された事に唇をぐっと噛んだ。
だが仕方が無い、ですら今まで気づかなかったのだから。
そこは流石安倍晴明と言うところだろう。
何か重いものが地面を引き摺るような音がする。
段々こちらへ近づいてくるようだ。
昌浩を潰していた雑鬼も、身の危険を感じたのか晴明や神将達の後ろへ下がった。
「…っ来た!」
闇から姿を現したのは大蛇。
その牙はまるで刃のごとく――昌浩を威嚇するようにシュウシュウと鳴いている。
晴明は一歩引き、観戦に回った。
傍に控えていた天一と玄武が不思議そうに晴明に視線を送るが、晴明は笑って“お手並み拝見だ”と言う。
昌浩は騰蛇と六合を従えるように立ち、大蛇を見据える。
は普段どおり昌浩の壁役を務めるべく、一歩前に出ている。
「しばらく静かなものだったが」
「異邦の脅威がこの国から消えて、そろそろ安全だと判断して出てきたのだろう」
「なるほど、今まで異邦の影に脅えて隠れていた類の化け物どもが、今度は自らの力を誇示しようとしているわけか。随分安易な考え方だな」
「実際問題、この程度の妖怪では窮奇の影も踏めないだろう」
「ああ、それは言えている」
「見てくれはそれなりだがな」
「確かに。だがそれなりでしかなさそうだ」
騰蛇と六合の緊張感の欠片も無い会話に、最初は堪えていた昌浩だったがついに爆発した。
二人を睨みつけ、思い切り怒鳴った。
「「少しは黙っててくれ!!」」
ん?と昌浩が振り返ればも同じ事を言ったらしい。
ぽかんと放心してしまった神将達を置いて、は前線へと身を投じた。
「あーあ。まで怒っちゃった。知らないからね!」
二人は自分達が怒られたことに気づくと口をつぐむ。
晴明は必死に笑いを堪えていた。
あんな神将達は初めて見る。特にあんなによく喋る六合は。
あの子供達に一体どんな力が秘められているか考えれば、自然と笑いが零れた。
は、大きく口を開け昌浩を狙おうとした大蛇を刀二本で受け止める。
なあに、窮奇に比べればこんなもの軽い。
背後で詠唱をしている昌浩の邪魔はけしてさせやしない。
「ほう…」
晴明は昌浩との戦いぶりを見て息をついた。
互いが互いの足りない部分を補うのが陰陽師と守護役であるが、子供二人はそれがちゃんと出来ている。
しかも神将達も加わっているのに、輪が乱れる事はなく更に素晴らしい結束力を見せる。
「窮奇の件が幸いとしたか…。得たものは大きかったようだな。…流石は鴇の後継」
「ナウマクサンマンダボダナン、ギャランケイシンバリヤハラハタジュチマラヤソワカ!臨める兵闘う者、皆陣列れて前に在り!」
刀印を振り下ろせば不可視の刃が大蛇に斬りかかる。
大蛇は一度身をくねらせると弾けとんだ。
「ふーおつかれさま」
「よし!終わり。ありがとう」
「いえいえ」
あの大蛇…姿のわりに随分とあっけなかった…。
自分の力が強くなったわけでもないのに、歯ごたえが無さ過ぎる。
昌浩の霊力はここ数日の過酷な戦いで弱っている。
まるで即席に作られたにわか式紙でもあるまいし…。
はふと戯れている?晴明と昌浩を見た。
とても穏やかに談笑している。
思い過ごしだろうかと、先程の考えを打ち消そうとした時六合が素早く動いた。
「!?」
「すまんな、六合…」
六合の槍の切っ先には小さな白い鱗の破片。
一体何をしたのかと思えば、それからは先程の蛇とは違った気を感じられた。
「晴明さま…これは」
「ううむ…これも式の一種じゃろうな。昌浩の体内に入り込もうとしておったのだろう」
晴明が一言呟くと、破片は一瞬で消滅した。
昌浩はこのことに気がついていなかったが、騰蛇達神将らは何か感づいていたようだ。
だが蛇にこれが紛れていたのは誰も気がつかなかった。
「あの蛇は…囮…?」
「わからん。だが、否定は出来んよ」
嫌な風が吹いていた。