邸を飛び出したの後をついていく影があった―――。
短く肩の上で切り揃えられた黒髪。他者から見れば目を惹き付ける大胆な衣装を身に纏った女性。
しかしその身から発せられるただならぬ神気が人間でない事を証明していた。
十四鬼 お前の瞳は何を映している?
――十二神将・匂陣――
騰蛇に次ぐ実力の持主で、十二神将の中では闘将と呼ばれる彼女。
今彼女は晴明の命でを追ってきたのだ。
追いついてみれば、は異形共に囲まれているではないか。
来たのが騰蛇や六合ならすぐにでもに加勢するだろう。
だが匂陣は違った。
の実力を見る、またとない好機だと思ったのだ。
元々守護役というものは実力を誇示するわけではない。
晴明に就いていた守護役は結構十二神将達とも関わりがあった為、その力の凄さは知っている。
鴇
十二神将以上に晴明を守っていた、人間があんな風に人間を守るのだろうかとも思った。
実力は確かなもので、彼は守護役であったと同時に加えて晴明の“親友”でもあった。
だからこそ、その孫であるの実力を知りたい。
築地の上から様子を伺っていたが、の調子は良いとは言えない状態だった。
先程から動きが危なっかしかったり、重かったりする。
時折顔を顰めて、また胸を押さえたりと明らかに状況は悪い。
匂陣は己の刀に手を伸ばした。
――ああ、疲れた
さっきからうじゃうじゃと数だけは揃えやがって―――
心の中で幾ら毒を吐いていても、それを口にする元気は無い。
心拍もどんどん上がり、息も乱れ始めた。
…ちくっしょうが……
「無理ヲスルナ、脆弱ナ子供ヨ。ソロソロ諦メタラドウダ?」
「…その口、いますぐ閉じろ」
右手の刀を妖怪の体に突き立てれば、それを絡め取られ動きを封じられる。
普段ならこれくらい太刀打ち出来るのに!!
右手に気を取られ、左手にも異形が飛び掛ってくる。
「……ッアアアア!!」
真っ赤な色が視界を染める。
激痛が走り、手から刀が落ちる。
左腕には痛々しく、食い込む妖怪の歯。
血の臭いに反応したのか、他の妖怪達が目を光らせる。
先程まで戦意を失いかけていた奴等まで。
「…っのやろ…… サマ…をなめんな…っよ!!!!」
空気に鋭い風が走った。
「…帰ってきてるかな」
「もう戻ってるだろう。大方邸にいないお前を捜して歩いてるかもしれんぞ」
「…有り得る…。どうしようもっくん!」
「もっくん言うな!それにしたってあいつがお前に追いつけないはずが……」
物の怪は不意に感じた馴染みのある神気に言葉を止めた。
昌浩も感じ取ったらしく辺りを見回している。
「――匂か」
物の怪の声に反応するように現れた神将。
何故お前が此処に、と問おうとした物の怪の言葉は発せられる前に飲み込まれた。
「「…っ!!!」」
匂陣の腕に抱かれて青い顔している子供の名前を叫び駆け寄れば鼻を刺すような鉄の臭い。
そして元は白かったと思われる彼の着物は赤く染まっている。
力なくぐったりと目を閉じているを見て昌浩には不安がよぎった。
「何があったの!?どうしてがこんな事に?!」
「異形共に囲まれていた。大丈夫だ、命に関わる傷ではない。ただ体力を思いのほか消耗している」
物の怪はたちまち本性――騰蛇に身を変えると匂陣からを受け取った。
自分の腕の中の子供は浅い息を繰り返し、血の気の引いた顔色をしている。
大量の血気を失った所為だろう、体温が冷たく感じた。
「急いで邸に戻るぞ!天一に「…やめろ」
騰蛇の言葉を遮ったのは誰でもない、本人だった。
「…これは…オレの…不注意だ…。天一に…傷を…おわすこと…ない」
「子供が強がるな!それでなくてもお前は無理をすると言うのに」
「…なら、玄武…のところへ…つれてけ」
そう言うと、は再び瞼を閉じた。
何故、玄武?と疑問符を上げたが騰蛇はの言うとおりにするべく足を速めた。
先程から何も発しない六合だったが、ふとこの間の一件のことを思い出した。
あの彰子誘拐事件の時、も高淤加美神に治してもらったとは言え、昌浩より遥かに早く回復した。
そして呟かれたあの言葉――――…
『オレは…死なないから』
いつだってそうだ
あの子供は助けを求めない。
「失礼します!!じい様!」
夜中の訪問だと言うのに中にいた祖父は寝巻き姿ではなく、身支度を整えた格好で昌浩を出迎えた。
恐らく式で様子を見ていたのだろう。そして此処へ駆けつけるのを待っていたのだ。
「玄武よ、をみてやってくれるか」
「うむ」
騰蛇がそっとを床に寝かせ、その隣に玄武が歩み寄る。
は薄く瞳を開き、玄武の姿を捉えるとゆっくり口元を動かした。
「…血だけ、とめてもらえるかな…」
「解った」
水将玄武は人の血液の流れを操る事が出来る。
傷を癒すことは出来ないが、出血だけでも止められれば負担は少なくなる。
「…!!」
「どうした、玄武」
「…晴明……ッ…いや、此処ではがゆっくり休めぬ。別の部屋に運んでも良いだろうか」
「それは構わぬが……いや我々が退室しよう。昌浩、紅蓮来なさい」
「え…?じい様…?」
有無を言わさず、昌浩と騰蛇を連れ部屋を後にした晴明。
玄武は心中でホッとした。
晴明が自分の目を見て何が言いたいか理解してくれて助かったからだ。
「これは…」
傷口に気を当てようと腕に目をやると破れた着物の端から見える黒い鎖状の痣。
それの存在に気づいた時、の手が微かに玄武の衣を引っ張った。
この痣のことを、言うな
はそう言いたげな目線で玄武を見た。
の言いたいことを理解した玄武はこの部屋にいる者に悟られぬよう、晴明に進言したのだ。
「…これは一体どういうことだ。確実に何かの呪ではないか」
「…昌浩達には言わないで…くれるか?晴明様…はもう薄々気づいておられるだろうが」
玄武はゆっくりとの左腕に巻かれている布を解いた。
晒される肌には黒い痣がどんどんと広がっている。
「…これは死を呼ぶ呪いの痣…この痣がオレの全身に巻きついた時オレの心の臓を締め付ける」
「何故、晴明に頼まない?!この様子ではもう時間が無いではないか」
痣は腕だけではなく、肩口までずっと続いている。
左腕だけではなく、右腕にもあることからほとんど上半身は痣に覆われていることが想像つく。
「…解けねえよ。晴明様でも、どんな陰陽師でも…かけた奴を殺さなきゃ…」
は傷の無い方の腕で目を覆った。
きっと今の彼の目は濡れているのだろう。
玄武はそれ以上何も言わなかった。
ただ、知ってしまった彼の心の闇を自分の中にだけ押し留めるか、それとも晴明に報告すべきか考えていた。