朝起きると枕元に文があった。

それはじい様でも父上の文でもない。

意外なことに、それはからの文だった。




















十二鬼 秘めた




























『一日だけ、留守にします。すぐに戻ってまた務めに戻るのでご心配なく 



流暢に書かれたその文字は、五歳児が書いたとは微塵も思えなかった。
よく彰子から文をもらうが、彼女とはまた違った意味で綺麗な文字だ。



「嘘…これが書いたの?俺より…綺麗なんだけど」
「こりゃ驚きだなあ。どこぞの貴族よりマシじゃないか?」




文字の感想ばかり言っているが、肝心の文の内容は解っているのだろうか?


























「…様新しい布をお持ちしました」
「其処に置いといてくれ。…それから、オレが帰っていることは…」
「解っております。朔乃(さくの)様にはご内密に…」




ここは家の邸。
の実家でもあり、代々守護役の生まれる由緒ある家系の住む邸だ。
安倍家程では無いが、本邸と別宅とそれなりの広さはある。



母は精神を病んでから別宅で暮らしている。
や父親の尋明(ひろあき)と顔を合わせるとすぐに不安定な状態になってしまうからだ。
だからこそ、が自宅へ戻っているなどと朔乃には気づかれるわけにいかない。






土蜘蛛の一件でボロボロになってしまった着物を脱ぎ、腕と足に巻かれた布を解く。
晒された素肌は人間にしては白い、だがそれもすぐに変わった。



の腕や足と言った場所には黒い鎖状の痣が巻き付いている。

痣の無い部分と言えば、手首足首など着物から出ている部分だけである。








「…また広がってやがる…」


痣は心臓から広がり、それが日に日に体全体へと伸びてゆく。
今では痣の無い部分の方が少ない。






新しい布を両腕、両足に巻きつけ新しい着物を身に羽織る。
何故、布を巻くかと言うと戦闘中に着物の間から見えてしまわないようにだ。






「数えで…後一年か」


帯を結び終え、刀を腰に差す。
だが、着替える為だけに邸に帰ったわけじゃない。





本来の目的は祖父との謁見だ。
















「爺様」
か。守護役の任を放って何故戻ってきた?」


本邸の一番奥の部屋。
そこにはに背を向けて座っている老人。

この人こそが安倍晴明の守護役を務め、滝沢家最高の守護役と謳われた男、 鴇である。






「…申し訳ありません。けれど一つだけ確認させて頂きたいことがございます」
「何をだ」



「…契約の効果はどうしても一度きりでしょうか?」
「そうだ…お前、まさか契約を結ぶ気か?」

「はい。残された命数、十分に使うにはそれが一番かと」

「……苦しむのは己だとしてもか?」
「何を言っておられますか、爺様。かつては貴方も歩みになった道でしょうに」





鴇は無言になり、部屋には沈黙が走る。





晴明と違い孫をからかうと言ったことはあまりしない。
それどころか鴇という人間はとても厳しく、我が孫と言えど幼き頃より甘やかした事は一度も無い。

だがそれも愛情の形。
孫が自ら苦しみの道を歩んで、心を痛めぬ祖父などおるはずもない。




それがにも伝わっているからこそ、は敢えてこういった言い方する。




「私は爺様を超える守護役になりとうございます。それが例え短き生で一生を終えようとも」

「…一つだけ言っておく」







そして鴇はこの時初めて顔を孫に向けた。









「けして後悔はするな。己が選んだ道、主の為に無駄死にすることは許さん」
「……心得ております。有難うございました」







は心で薄々感じ取っていた。


自分はもうこの邸に帰る事は無いだろう、と。
この場所、母、女房達。

祖父との落ち着いた会話も最後になるかもしれない。






「―――お元気で」



















邸を出る前、別宅の扉の前で足を止める。


扉一枚隔てただけだが、今この扉が自分にはとても分厚い壁のように見えた。




自分をとても大切にして、そして愛してくれた人。
それが故に今壊れてしまった。









ごめんなさい




ごめんなさい








は扉に手を当て、その向こうの母を想う。






貴女が流してくれた涙、貴女の暖かい温もり。



オレは一生忘れません。





でももう会う事も無いでしょう。








「…さようなら」










だいすきな、ははうえ