夜中月夜を見上げているとふといつも感じない神気が流れ込んできた。
しかもそれは昌浩の部屋から感じられる。
「…え?」
十鬼 消えない傷
「昌浩、ねてるか?……はいるぞ?」
スッと戸を開ければ疲れ果てたような物の怪の姿。そして昌浩…………ではない人物が偉そうに腕組みしている。
姿形は昌浩なのだが、流れ出る神気や表情などが全くの別物だ。
「……なかみ、だれ?」
「…高淤加美神だ」
答えた物の怪はに視線を向けず、ジッと昌浩の中にいる神を睨みつけていた。
高淤加美神と呼ばれた神はにやりと笑うとを一瞥した。
『なあに、この子どもが少し気に入っただけだ。別に悪用することはない』
の表情が堅いのを見兼ねてそう言ったのだろうが、神を憑依させて昌浩の体は疲れないか心配なのだ。
物の怪もそう思っているらしく良い顔は出来ない。
『…お前…難儀な生き方をしているな。人を守る前にもっと自分を大事にしたらどうだ?』
その言葉にの眉間に益々皺が寄った。
この時初めて物の怪はの表情を見たが、それは言い当てられた図星故の歪みなのか心外だと言う歪みなのか判らなかった。
『まあいい…。貴船から…奴等が消えた』
「「!!?」」
奴等、というのは窮奇の一行のこと。
根城にしていた貴船から出て行ったと言う事は今何処にいるのだ?
『また何かあれば呼べ。…まあ声が届けばの話だがな』
「届くに決まっているだろう。これはそれだけの力を持っている」
物の怪の睨みをいともせず、高圧的な笑みを浮かべた高淤加美神は肩からかけた袿をふわりとひらめかせた。
その雰囲気に、姿は昌浩だと言うのにどこか神々しさを感じる。
『信じる信じないはそっちの勝手よ。だが違えることは無いと心得よ。用件はそれだけよ、我は戻る』
ふっと昌浩の体が傾いだ瞬間と物の怪が慌ててその体を支えに行った。
目には見えない神気が飛翔していく。神は去り、再び夜の静寂が戻る。
「…つめたい。まだやみあがりなのに」
「まったく無茶をする神だ…」
昌浩の体に袿を巻きつけ、褥の上に寝転がす。
「あの神を完全に依り憑かせてしまったというのも、すごいことではあるわな」
飄々とした声が響き、そちらに顔をやると晴明が立っていた。
安らかに眠る孫の顔を見て穏やかな笑みを浮かべる。
「全くとんでもないものに好かれてしまったな。本当に困った奴じゃ」
部屋に戻ろうとする晴明の背後にそっと立つ。
その表情は瞳は真っ直ぐと晴明を見てはいるが、何か不安の色がよぎっているのがわかる。
「晴明さま…あの神は…」
「…あの方は事の始まりを知っておる。終末も…大方予想がついておるのじゃろう」
「……あなたもしっておられるのか…」
「いんや、ワシが知っておるのは……守護役は一度の祖父の代で潰えたはずじゃったな」
「……はい」
「それは…主の父君のことと関係あるのか?」
は目を逸らさずに晴明を見て、答えた。
「父は……守護役としての務めを捨てた男です。我が一族はあの男を許さない」
はっきりと、意志を込めた言葉。
晴明はの姿が一瞬違って見えた気がした。
「…晴明」
「六合か」
がいなくなって隠形していた六合が姿を現した。
は隠形している十二神将を見ることは出来る。だが六合はそれを解っていて、敢えて隠形した上で隠れていたのだ。
今の精神が揺れている状態のでは六合の気配を感じることは出来なかったのだ。
「……は…一族とは…一体なんなのだ」
「我ら安倍家に仕える一族。それ以上でも以下でもない」
「では、は何を抱えているのだ?」
「…それは本人しか知らぬことじゃ。ワシも知らぬ」
六合が悲痛な面持ち(と言っても普段とあまり変わらないくらいの微妙な変化だが)なのを見て晴明は嬉しくなった。
自分が命令しているわけでもないのにこの神将はの為心を悩ませている。
その変化はとても微笑ましいことだった。
「あの子は主らを変えるかもしれんのぅ……」
翌朝、体の快調を感じた昌浩は今日から出仕することにした。
一応物の怪は病み上がりなのだからと言うのだが、本人が「平気だ」と言い張るのだから止められない。
「嘘みたいに軽いんだよ体が」
「へー。じゃあまたこんばんからみまわりいくのか?」
「そうだね、まだ異形の化け物達のこと決着ついてないし」
陰陽寮に着くとは屋根の上へと移動する。
物の怪は姿が見えないから入る事は出来るが、基本陰陽寮には入る事は出来ない。
その為、屋根の上で昌浩の仕事が終わるのを待たなくてはならないのだ。
「じゃあきをつけて。もっくん、昌浩のことよろしく。なにかあったらすぐいくから」
「おう、任せておけ」
「うん、それじゃあ行って来るね」
昌浩と物の怪の背を見送って、はひらりと屋根の上へと登る。
「…高淤加美神のおかげか…。あの神にしては気前が良すぎる気もするが…」
それでも昌浩が元気になったことは確かに喜ばしい。
一度は死ぬかもしれなかったその身が、完全に復活した。
もう二度と…あんな目にあわせやしない。
「貴船…にいくのか?」
「うん。もっくんから聞いたんだけど俺の体調治してくれたの高淤加美神なんだってね。礼の一つも言わなきゃ罰が当たるよ」
どうやら今夜の夜警は貴船に行く事に決定したようだ。
確かに神の力で元気になったのに挨拶の一つもしないのは失礼にあたる。まあ昌浩にとっては意識の無い時の話なのだが。
昌浩の言葉を了承し、ひとまず邸に戻る事にした。
「あれ、めずらしいな。いっしょにいくのか?」
「あ?…おい」
の言葉に首を傾げ、物の怪の視線を追いかけると屋根の上で片膝を立てて座っている男。
十二神将、六合だ。
「なんでお前がいるんだ?」
「…別に。何処かへ行くなら一緒に行こうと思っただけだ」
「だからなんでさ?」
六合は一度昌浩に視線を向け、その後に視線を向けた。
「????」
「…気にするな」
なんとも簡潔な返答をして、六合は?マークを浮かべるの頭を撫でた。
その後穏形してしまったが、近くにいるのは分かる。
「さて…と、やっぱり呼ばなきゃな…」
「「?何を?」」
言うやいなや昌浩は指笛を吹く。
辺りに甲高い音が響き渡り、その後ガラガラと何かが近づいてくる。
だんだんと近づいて来たその姿は、牛もいなければ引き手もいない牛車。
大きな車輪には鬼の面、紛れもなく妖怪である。
「車之輔!」
昌浩が呼ぶその名はあの牛車に向かってのもの。
そう、あの牛車は以前昌浩が逃がしてやった妖怪なのだ。
「車之輔って…。お前…」
いつの間に友好を深めた、と物の怪は訝しげな目線を送る。
どうやら邸で休んでいる間に車之輔は何度か訪ねて来たようで、その際に身振り手振りでなんとかコミュニケーションをとったようだ。
貴船までは長い道程、それ故に車之輔に運んでもらえると言うのはとても有難い。
…のだが
「あだっ!!いで!!〜〜!!舌噛んだ!!」
「黙ってないと余計に噛むぞ。しかし凄い速度…だッ!!頭打った…」
「あだだだだだだだ。もっくんずつきしないでよ」
「仕方ねえだろ!」
まあこの運転が荒いことで、中は最早悲惨としか言いようが無い。
それでも好意で乗せてくれてるのだから文句は言えないが。
曲がる度に体の小さいと物の怪は体が揺れる。
昌浩もそんなにしっかりした体格ではないのだが二人に比べればまだマシだろう。
昌浩は物の怪の体をがっしりと抱え込んではみたが、流石にまでは押さえ切れなかった。
「、なんとか手伸ばせる?」
「お、おう…っ!!?」
地面の石でも踏んだのだろうか、思い切り車之輔が揺れた。
片手を伸ばした体勢だったはあっさりと転がった。
「、落ちる!」
「だいじょぶ……って、あ?」
受身を取ろうと思ったら、逞しい腕に支えられた。
「気をつけろ」
「おお、ありがとー」
視線を上げると其処には無表情な六合。
六合はの体を起こすと、昌浩が物の怪を抱くようにを抱え込んだ。
「…なんだこれは」
「この方が安全だろう。着いたら放してやる」
昌浩は六合の珍しい行動に目を丸くし、物の怪は些か眉間に皺を寄せた。