、来い」

「は?」


それだけ言うと泰明はの腕を掴み立ち上がらせ、スタスタと歩き出した。
はたった今口に入れたばかりの詩紋お手製和菓子をゆっくりと咀嚼しながら泰明に手を引かれるままついていった。


様?」
「藤姫ちゃん、ちょい出かけてくるわ〜」



一瞬え?と思った藤姫だったが泰明が一緒と判った途端、行ってらっしゃいませと笑顔で見送った。














無言のまま歩き続ける泰明に最初は何も言わずついて行くだったが、せめて何処へ向かっているかくらいは知りたい。
引かれた腕とは逆の腕で泰明の袖を引っ張ってみた。


「何処行くねん」
「安倍の屋敷だ。お師匠がお前に会うと言っている」
「ほんならそれ出る前に言えや。いきなり引っ張られたら吃驚するで」

「着けば判る。不十分か?」

「…着くまでが問題やっちゅーねん」





手首に込められた力は緩む事が無かった。
別に抵抗もせず大人しくついて行っているのに泰明はの手を放そうとしない。





「泰明、オレ別に逃げへんよ?」
「?どういう意味だ?」

「いや、なんで手引っ張ってんの?」



そう言って初めて泰明の足が止まった。
そしての手を掴んでいる己の手を見て固まった。



「…何故私はお前の手を引いている?」


「さあ。それは泰明にしか解らんと思うけど」
「私も解らぬ」










そう言って泰明は手を離した。

の手にはうっすら跡がついている。
泰明はふと自分の手を見つめる。




「……私はどうしたのだ…」

























今度は二人並んで歩き、ようやく辿り着いた立派な建物。
その門の前で再び立ち止まる。



「これよりは我が師の結界の中。はぐれると一生この中で彷徨うことになるぞ」
「りょーかい。せやったらこうしよか」




はそう言うと自分の右手と泰明の左手を繋いだ。




「…何をしている?」
「迷ったらあかんのやろ?この中ならこうしてもおかしくないやろ。さ、行こか」


女の子やなくて堪忍なーとは笑っていたが、泰明はそんなことはどうでも良かった。

それより気になるのはさっきまで無意識でしていたことなのに、何故か今は妙な気持ちが浮かぶこと。
これは一体なんなのだろうか。







「おー…別世界やな。めっちゃ空気綺麗やし、なんちゅーか澄んでるな」
「結界内は常に清浄に保たれている。此処なら黒龍の神子が鬼に再び狙われる事はない」
「…せやな」





そう、此処には蘭がいる。
あの日以来様子が安定するまで会えなかった。
守人である自分ですらも近くに居てやれなかった。


あの子をまた一人にしてしまった――――…。























「お師匠、を連れてきた」
「すまないな、泰明よ。―――そなたが、守人だな。我が名は安倍晴明」


御簾の向こう側から聞こえる声。そんなに若くも無いが年老いているわけではない。




「お初にお目にかかりますわ。 と申します」
「此度の訪問、泰明に無理を言ったのは私だ。泰明を責めないでやってくれ」
「ええ。それで晴明さんはオレに何か聞きたいことでも?」




「単刀直入に聞こう。そなたは自分の力を何処まで扱える?」




その言葉に頭の中で鈴の音が響いた気がした。



「守人は龍神の力をそのまま唯一人間の身に宿すことの出来る。だが強大な力を扱うのは簡単なことではない」
「ええ――…黒龍の力言うんがこないにデカイとは思いませんでしたわ」


そう言いながらは自分の右腕の袖を捲くる。
その下の腕に伸びるのは一筋の切り傷。





「…っ?!」



思わず泰明が口を挟んだ。
それと言うのも、その傷が少し切ったとかそういう程度の大きさではなかったからだ。
まるで刀で斬り付けられたように痛々しい傷。



「強い力は中から身を滅ぼす…そういうことやろ?」
「そうだ、内なる力を扱えぬならやがてその身を朽ちらせることになる」

「……貴方は解決法を知っとるんやろ?それで今日オレを呼んだんやな?」






「此処へ、しばらく通いなさい。力の使い方を先ずは学ぶことだ」






言い方とは別に、声に強制の色は無かった。
むしろ自分の進む先を教えてくれている。




「…よろしゅうお願いします」



はゆっくりと床に手をつき、頭を下げた。




























「――何故、黙っていた?」
「は?」




晴明との謁見も済み、此処まで来たのだから蘭の所へ行っても良いかと尋ねたところすんなり許可を貰えた。
そして再びあの広い庭を歩いていると泰明がを見据えてこう言った。



「ああ、これか」



これ、とは先程晴明の前で出した腕の傷。
こんな傷を負っていることは泰明以外の人間も知らなかった。


「オレかてあの時は無我夢中やったさかい。帰って腕が痛いなー思たらこうなっててん」


身に宿った力が外へ出ようと暴走した結果、の体に切傷がついたのだ。
もっと早く解っていればそれを抑えることも出来たかもしれないのだが、黒龍の力が宿ったのはアクラムと対峙したあの時―――。
いきなりのことで当の本人も驚いた。





「力が抑えられるようになるまで無闇やたらに黒龍の力は使うな」
「心配してくれてるんか?おおきになー。まあオレかてこんなの勘弁や」

「お前が傷付くと神子が悲しむ」

「あかねちゃんが?そらいかんな。女の子悲しませたら」

















泰明はふと考えていた。



神子が悲しむ、これは確かにそうだ。


だがそれだけのことで今の言葉を口にしただろうか?



神子のことを後から付け加えたような、そんな言い方じゃなかっただろうか。

















「この先の庵に黒龍の神子はいる」
「そうか、じゃあオレちょっと行って来るな」


は今まで泰明と繋がれていた手をすいっと放した。





その瞬間、泰明にはふと虚無感のようなものが感じられた。





























「誰?」


鈴の音を転がしたような涼やかな声が聞こえた。
樹の影から音を立てて自分の姿を見せると、声の主が振り返った。





「…元気…そうやな」
「……貴方……」




前より顔色も良い。
空ろな瞳ではなく、ちゃんと色を宿した目をしている。

その姿を見れて、心から安心した気がする。






「やっと会いにこれてん…遅くなって堪忍な」
「…っ!」




たった数mの距離が、蘭が駆け寄ってきたことにより無くなった。
の胸に縋りつき、細い肩が震える。



「…次に目を開けたら…貴方がいなくて…夢だったんじゃないかって…!」
「オレは此処におるよ。これからもずぅっと蘭を守るから」
「…名前…あ…私、貴方の名前を…知らないわ」





「オレの名前は や。蘭」
…さん…」




ようやく蘭の本当の笑顔が見れた。








「蘭、何か欲しいもんとかあらへんか?出来るもんならすぐ用意したるよ?」
「いいえ、何も無いわ。さんがいてくれるんだもの、私それだけで今は満足してる」
「…遠慮いらんのやで?もっと我侭言い。それだけの権利があるんやから」




そう言うと蘭は考え込んだ。
すぐにまた顔を輝かせ、視線をに向ける。




「じゃあさんのこと聞かせて。好きなものや、普段してることとか」
「―――…ええで。沢山話したる。時間はたっぷりあるさかい」
























時間はようやく進みだしたんだよ